野村茎一作曲工房日記2

作曲家の野村茎一が日々の出来事を綴ります

5月4日(金)みどりの日

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 この数日、各地で大雨となり、5月の降水量の記録を更新した観測点が続出した。

 放送大学で気象学と天文学の両講座を視聴しているのだが、この2つの分野は似ているようで、実は全く事なる考え方の上に成り立っているのかも知れない。

 わかりやすい例を挙げるならば、考古学の議論には素人でも加われる余地があるが、物理学になると急に敷居が高くなる。どちらも難しさという点では同じくらいなのだろうけれど、成り立ちそのものが異なっているように思える。気象学と天文学の関係も、方法論から異なっているのかも知れない。

 なぜ、こんな話題を出したかというと、音楽を聴くことと演奏することは全く違うことが理解されていないように思ったからだ。

 なにか一曲でも演奏したら、演奏者は、その曲を構成する音を全て知ったことになる。しかし、音楽を理解したわけではない。演奏するためには大変なエネルギーを使うということは誰もが認めることだろう。しかし、実際には聴くことのほうが困難だ。

 以前も書いたけれど、音大卒業生でさえベートーヴェンのわずか9曲(ウェリントンの勝利を入れれば10曲)の交響曲を聴いたことがないという人は多数派かも知れない。ましてや、全楽章を言い当てられる人となるとわずかだろう。ベートーヴェンでなくともよい。とにかく、音楽を覚えるほど聴き込むということは、大変なことだ。

 私は、なかなか曲が覚えられないタイプなので、若い頃から聴きこむ習慣がついてしまった。オーケストラの曲なら、1曲を(決して誇張ではなく)500回とか1000回とか聴かないと分かった気がしない(その回数に達するのに数年を要すのはザラ)。だから、少しは分かった気がしている曲の数は多くない。

 しかし、知らない曲があると、どうしても聴いてみたくなるタイプでもあるので、メロディだけならたくさん知っている(それが意味のあることかどうかは不明)。

 作曲しようと思って、もし迷うことがあるとすれば、それは今までに聴き逃してきたことなのではないかと思っている。

 演奏するためにはレッスンを受けることが当たり前になっているけれど、実際には、聴くことも同じようなトレーニングが必要であると確信している。