野村茎一作曲工房日記2

作曲家の野村茎一が日々の出来事を綴ります

5月20日(日)

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 明日は金環食の日なのに天気予報は悲観的だ。

 小学校3年生の時に、生まれて初めて天体望遠鏡で月・木星・土星などを見る機会があり、宇宙に興味を持った。

 しかし、そんなことくらいで宇宙にのめり込んだりはしないものだ。

 その頃、親に買ってもらった(頼んだ覚えはないから、当時流行っていたのかもしれない)学研の少年少女学習百科事典の第14巻「天文と気象」を読んでから、俄然興味が湧いた。

 最初に太陽系の基本構造を理解した。それで、ようやく季節ごとに星空が移り変わる理由や、夏はなぜ暑いのか、冬はなぜ寒いのか(北半球の場合)が分かった。

 ほかに読むものもなかったので、その巻だけは覚えてしまうほど読んだ。まるで、シュリーマンホメロスの「イーリアス」を諳(そら)んじるほど読んだとか書いているのと似ている。

 それから小学校の図書室にあった天文関係の本は全て借りて読んだ。その中のどれかにこれから起こる天文現象として、1985年のハレー彗星の回帰、1987年の沖縄金環食、2003年の火星の大接近、2004年と2012年の金星の日面通過、2009年の皆既日食、そして明日の金環食のことなどが書かれていた。

 20年弱で起こるハレー彗星の回帰のことを思うだけで、それを待つ長さに胸が苦しくなるほどだった。なにしろ30歳の自分を想像することすらできなかったのだから。ちょうど池谷・関彗星が新聞の紙面を飾った頃だったので、頭の中のハレー彗星は夜空を覆い尽くすサイズだった。もうひとつ、胸をときめかせたのが金星の日面通過だった。これは日食と比べても圧倒的に稀な現象だった。しかし、小学生にとって半世紀近く後のことが想像できるわけもなく、2009年も2012年も遠い未来だった。それでも、とにかく全てが待ち遠しかった。

 そういえば、1989年12月の金星食は素晴らしかった。天体の運行を目視・実感できた体験で、金星が月よりずっと遠い天体であることを実感した体験。恒星食とは印象が全く違うものだった。

 2003年の水星の日面経過では、水星の見かけの小ささを知っているつもりではあったけれど、単なる点にしか見えず逆に太陽の巨大さを思い知ったものだった。

 観測天文学や宇宙論の発展は著しく、常に新しい情報に接していないと、あっという間に置いていかれてしまう感じだったので、天文関係の書物は読み続けてきた。今は放送大学が詳しい講義を行なっているので、非常に助かっている。

 明日は、少しでも雲に隙間ができることを祈るばかり。

 

 今日も気持玉を頂いたのでご報告。ポチッとしてくださった皆さん、聴いて下さってありがとうございます。

 

・1α-13_たこたこあがれ <ナイス>1

・1α-26_7つのポジション / C <ナイス>1

・1α-27_7つのポジション / D <驚いた>1

・1α-28_7つのポジション / E <面白い>1

・1α-29_7つのポジション / F <なるほど>1

・1α-30_7つのポジション / G <ナイス>1

・1α-31_7つのポジション / A <驚いた>1

・1α-32_7つのポジション / H <ナイス>1

・1β_バッハを讃えて <なるほど>1

・1β_プロコフィエフ風に <なるほど>1

・1β_雨降りカノン <ナイス>1

・1β_カノープス <ナイス>1

・1β_とうに夜半を過ぎて <ナイス>1

・2α-69_白壁の家 <ナイス>1

・3α-118_ミクロコスモス風に <ナイス>1

・3β-25_カシオペア <ナイス>1

・3γ-2_ピクニック <驚いた>1 <なるほど>1 <面白い>1

・5α_小さなカノン <ナイス>1

・6α_フォーマルハウトについて <ナイス>1

 

 日付変更前(5/20)は、ここまで。

 ついに、2α-69_白壁の家_のように地味な曲まで発掘されるようになった。私の曲をある程度聴きこまないと、こういう曲には気づかないかも知れない。作曲者の欲目なのだろうけれど、これはウラノメトリアの中でも上質な音楽の部類に入る曲だと思っている。

 では、お休みなさい。