野村茎一作曲工房日記2

作曲家の野村茎一が日々の出来事を綴ります

11月9日(土)

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 日付が変わって10日0時(9日24時)からオンエアされた「宮沢章夫のニッポンカルチャー 80年代の逆襲」が、とても面白かった。

 この番組があることは全く知らず、BDレコーダーのハードディスクを整理しようと思ってTVモニタをONにしたら偶然始まったという次第。ミニミニ神さまのおかげか。

 私の1980年代は、ちょうど公立中学校・高校で音楽教諭として過ごしており、作曲に関して言えば実に低調な時期だった。公務員であったためか、バブルという時代を知ったのは、バブル崩壊が叫ばれるようになった90年代になってから、という時代を過ごしたのだった。世の中の出来事に疎い(ひょっとして浮世離れしている?)ので、90年頃に民間企業の友人の給料を聞いて、その高さに仰天したものだった。今では報酬が変化しにくい公務員が高給取りという印象になっていて驚くばかりだ。

 1980年に書いた曲は、わずか数曲。1981に年は決定稿がないと思う。1982年頃から徐々に作品数が復活していくけれど、本格的に書くようになるのは1991年後半から。

 教員時代はテレビを観る時間も、ほとんどなく、それゆえ1991年春から1997年春までカミさんの提案したテレビなしの子育て生活にも、あっさりと順応できた。

 というわけで今夜の「80年代の逆襲」で、その時代を復習することができた。

 80年代カルチャーを象徴する「原宿セントラルアパート」という、マンガ界で言うトキワ荘のような存在も初めて知った。

 番組中で紹介された、マンガ家の岡崎京子の「新しさを求めることが古くなってきた」という当時の言葉に共感。

 

 

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今日の昼頃、レッスンの合間の3時間を使ってカミさんの実家へCDを届けた。その帰途、信号待ちで見つけた強烈なインパクトの駄菓子屋(?)。写真では店内が暗くて廃屋のようになってしまったが、実際は、もっと賑やかな印象。勝手に高齢の経営者を想像して、店名が消えようがなんだろうが、そんなことは気にしないという強さとか逞しさのような(赤瀬川原平の言うところの)「老人力」を感じてしまった。