野村茎一作曲工房日記2

作曲家の野村茎一が日々の出来事を綴ります

1月6日(月)習作期の終わり

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 モーツァルトやピカソなどの超天才を除けば、ほとんど全てのクリエイターには「習作期」があった。

 後述するけれど習作期は非常に重要で、おそらくその人の生涯を決する時期となる。

 いつ習作期を脱したのかと判断するのは難しいが、ざっくり言えば「脱稿したとき、構想の段階で想像していたよりも仕上がりが何だか良くない」というのが習作期で、「構想どおりの、あるいは構想よりもよい仕上がり」になれば、もう習作期を脱していると考えて良いだろう。

 ここで怖いのが、小さくまとまったような形で習作期を終えてしまうことだ。

 クリエイターにはイメージの器のサイズがあって、そのサイズは習作期に決まるように思えてならない。

 習作期には自分自身に対して大風呂敷を広げて、過大な要求をすべきだろう。つまり、とても歯がたたないような身のほど知らずなイメージを育てるのだ(矛盾するようだが、技術を磨くには身の丈に合ったイメージを楽譜に書くことが一番)。

 ピアノで言えば、今はソナチネを弾いているけれど、将来は絶対ベートーヴェンの全協奏曲を弾いてやる!と野望に燃えるようなものだ。

 ウラノメトリア6αに収録予定の「バラード」は15歳の時に書き始めた曲だけれど、当時の技術では楽譜化することが困難で、スケッチの集合として放置せざるを得なかった。それから10余年、土肥 泰先生の許で研鑽を積んで技術的にも格段の進歩を遂げたお陰で、そのスケッチが現在の形になった。

 今でも驚くのは、アイディアは10代の頃のまま使われていることだ。というか、20代終わり頃の私が持っていたアイディアとは異質すぎて手を加えることができなかったというのが正しい。あの「バラード」に似た曲は一切書いていない(もはや書けない)。

 イメージについて付け加えると、たとえばオケの2管編成と4管編成では作曲を開始するときのスタンスが全く異なる。

 4管編成は単に大きな音を出すためにあるのではない。声部が多く、かつ複雑であったり、複調(多調)であるなどのために大編成が必要な時に使う。つまり、イメージが編成を選び、逆に編成が決まっているなら、それがイメージを定める。

 確固たる根拠はないけれど、経験から判断するならば、そのようなイメージを生み出す力を育てるのが習作期なのではないだろうか、というところ。

 私の習作期が終わったのは20歳の後半。ウラノメトリアには15歳〜19歳までの曲もわずかに含まれているけれども、それらは後から未熟な部分に手を加えている(「3γ_行進曲風に」は15歳の時のピアノ・ソロを4手に書き換え、など)。しかし、たとえば「4α_きつね」などは作曲時から一音たりとも音を動かしていない。つまり、当時の「思い通り」に書けているということだと思う。

 作曲だけではないと思うが、創作とは「絶対不可能」に挑戦するような行為だと思う。今すぐに書けてしまうような曲は、たぶん私を満足させないし、聴衆や演奏家もそれをすぐに見抜いてしまうに違いない。自分自身の想像力さえ超えるところで仕事をしなければ、クライアントの想像力だって超えられないかも知れない。

 だから、そのようなイメージ(アイディア)がやってきた時は本当にワクワクするものだ。

 2007年のフルート・ソナタは書いているうちに、どんどん良くなっていった。それは、あの曲を書くことによって私自身が少しずつ進歩していったからだと思う。作曲開始から7年経って、ようやく楽譜がイメージに追いついたのだった。これは遅筆というのとは少し違うと思う。技術が進歩するのに時間を要したからだ。

 いま作曲を勉強している若い人は、ぜひ高い高い志を持ってほしい。そして将来は大物に。私は未だ果たせていないけれど。

 

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午前中、先ごろ亡くなられたモリアキ翁の知人宅へモリアキ翁を送った。

 

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こんなに良い天気なのに、実に寒い一日だった。

 

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一段と冷えてきた夕暮れ。今日も自転車で走り回ったけれど、一刻も早く帰宅したくて途中で写真を撮る気になれなかった。

 

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肉眼で見た月は実際にはこのくらい。全天を円で示して、そこに月や太陽の大きさを描いてもらうと、ほとんど全ての人が実物よりも大きな月や太陽を描く。直径30センチの円を全天とすると月や太陽は直径0.8mm強の点にしかならないのではなかっただろうか(違っていたらごめんなさい)。