野村茎一作曲工房日記2

作曲家の野村茎一が日々の出来事を綴ります

10月28日(火)赤瀬川原平氏逝く

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 赤瀬川原平逝去の報は、息子の “風” からのメールが最初だった。

 彼とは、もちろん面識はないが、彼ほどお世話になった人もいない。

 最初の出会いは「超芸術トマソン」だったと思う。彼の着眼点は、いつでも新たなムーブメントを生み出した。トマソンという新概念だけでも彼以外の著者による書物、写真集などが多数出版され、それはいまだにネット上で脈々と続いている。そういえば、文庫版の「超芸術トマソン」の表紙は、盟友飯村昭彦が命綱なしで銭湯の煙突に登って、その上に立ち、棒に取り付けた下向きカメラで撮影したトンデモな風景写真だった。

 赤瀬川は、ヴィンテージカメラ80台を所有するほどのカメラ好きで、写真にも造詣が深かった。彼からの影響は計り知れないほど大きい。

 老人力という言葉(これも新概念)とともに「新解さんの謎」も忘れるわけにはいかない。我が家の公式辞書は新解さんであり、家族全員に1冊ずつ行き渡っているばかりか、ダイニング用としても蔵書されている。

 また、天文ファンでもあって、小説化された日食観望記などが非常に面白かった。松田哲夫南伸坊などという人たちも赤瀬川原平の影響を受けたり、与えたりして感性を磨いたに違いない。

 千円札偽造事件のことは、後になってから知った。彼は “マルチな才能” と評されることがあるが、根は一つであることは間違いなく、芥川賞受賞も小説家としての彼が受賞したというよりも、赤瀬川原平(受賞した著書の名義は尾辻克彦だが)その人自身が丸ごとで受賞したのだと思う。

 奇しくも今日、彼の作品展が千葉市美術館で開幕。読売新聞に松田哲夫氏が寄稿した文章によると、体調を崩した赤瀬川氏に代わって、松田氏が展示のチェックに立ち会ったということだった。

 千葉市美術館まで最短ルートで52km。往復104km。体力は持っても時間が足りない。電車で行くしかないか?

 

 

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開封の順序を間違えて、今頃7ヶ月前に精米されたコメを食べている(昨深夜、今日未明に撮影)。

 

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秋は世界が美しくて毎日レリーズしまくっている。逆光時の撮影についてモリアキ翁95歳から指導を受けたのは小学生の時。フィルムカメラの時代は、この露出ならどのように写るかということを予測しながら撮影しなければならなかった。万全を期すためにはブラケット撮影(露出をずらしながら複数枚撮影すること)をするしかなかった。今は液晶モニタで確認しながら露出補正を行えるので、逆に拍子抜けしてしまう。

 

 

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一見、何の変哲もない芦原橋。この橋を通るときは、ほぼ確実に足を停める。

 

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芦原橋から見た谷口橋。

 

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たわわに実る柿。いい季節だ。

 

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今日の笹目川の水はきれい。

 

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矢口上橋。ここも人道橋。

 

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ゼブラ柄になった北戸田駅

 

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中央橋からみた笹目川の輝き

 

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ピアノ室からみた今日の夕暮れ

 

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雲間の月、月齢4。

 

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天体写真少年たちにとって、月の露出は基礎中の基礎だった。月と太陽との距離は、地球 - 太陽間とほぼ同じと考えて良いので、満月の露出は地球上の晴天時の風景写真と同じ露出。フィルム一眼レフカメラのシャッター速度は1/125秒、1/250秒、1/500秒、1/1000秒という刻みだったので、ISO400のトライXの場合、満月は1/500秒で撮影した。