野村茎一作曲工房日記2

作曲家の野村茎一が日々の出来事を綴ります

4月10日(火)

267373

 

 4月11日(水)記。

 昨夜も作業中に意識がとぎれて眠ってしまったらしい。朝5時にカミさんに早く寝るように促され、その場で寝込む。しかし、5時半頃に寝室と寝具というものがあることにようやく思いあたり、移動して眠った。

 ゴミ出しの日なので7時半に目覚め、カミさんが出勤する7時50分すぎにノロノロを起きだして、出勤前の “風” とゴミ集積所に。我が家が、また少し軽くなった。

 ここまでは今朝の話。

 昨日は “たろ” が午後から授業だったので、一緒に水汲みと買い物に行った。クルマのBGMはマイルス・デイビスのアルバム「ROUND ABOUT MIDNIGHT」。冒頭の「Round Midnight」が花曇りと桜に似つかわしくなくて強烈なコントラストだ。

 “たろ” が大学の授業(美術以外)を面白いと言った。すごく面白いと言った。昨日(今日から見れば一昨日)の授業はレイチェル・ボッツマンの「シェア」についてだったそうだ。昔はシェアと言えば市場占有率のことを指したが、今時それを思い出すような人は「アウト、三振!」だ。

 お、突然だけれど今、Reichの「Cuty Life」第1楽章が始まった。その前に流れていたのがGiovanni Picchi (1572-1643)というほとんど無名の初期バロック時代の作曲家のチェンバロ曲だったから落差が大きい。この2行を書くのに5分38秒もかかってしまった。

 元へ戻る。私は、たまたまジェフ・ジャービス(ニューヨーク市立大学ジャーナリズム大学院准教授)によるBussMachinというブログの読者であり、最近のテーマが「シェアに関するエコノミスト誌上討論」という連載(全3回)だったのでタイミングがよかった。シンクロニシティと言いたいところだが、シェアという概念は、いま世界中を席捲しているから当然といえば当然だろう。

 今朝一番で、ボッツマンの「シェア」をアマゾンでポチっとした。

 普段ならば、クルマの中でどんな曲を聴いているか、とか部屋のなかにどんな音楽を流しているか(実はBGMではない。曲が流れている時は集中して聴く。そうでなければ音楽的に獲得できるものはない)。というようなことは書かない。どんな本を読んでいるかも書かない。私はパブリックな環境でシェアしてもよい情報と、そうでない情報(誰よりも先を走るために)をきっちりと区別するようにしている。ほとんど全てを共有するのはレッスンにおいてだ。レッスンでは音楽に関するありとあらゆる情報をシェアしあう。そのシェア環境が作曲工房レッスン室。

 “たろ” は、大学では先生が教科書について語るのではなく、自ら得た知見による独自の視点を語る点について驚きを隠しえない様子だった。大学に学習指導要領はない。何を語っても良いのだ。だから、日本中の大学に同じ名前の講義がたくさんあるけれど、同じ講義はあり得ない。“たろ” は有意義な大学生活を送ることができるかも知れない。駄目教授の区別もつくことだろう。

 その後、“たろ” とは人口集中について話し合った。都市問題ではない。

 天才は一定の人口から一人の割合で生まれると仮定する。天才の人口密度は極めて低く、彼らは孤独である。数日前に放送大学で知ったヒプシサーマル期の終焉という気候変動が大河流域に人々を集めたという考え方に従えば、それによって天才たちが接点を持ったと推測できる。天才を理解できるのは同時代では天才だけだから、孤独にしておくと役に立たない。つまり人口集中によって古代文明が生じたという考え方は理にかなっていると思う。

 そのことに気づいた古代ギリシャ人たちはムセイオンやアカデメイア、リュケイオンを設立して天才たちの接点を作った(断言はできないけれど)。ルネサンス期にはイタリア・フィレンツェメディチ家絶対王政期のヨーロッパの宮廷なども同じような役割を果たしたことだろう。20世紀ではベル研究所、21世紀ではCERNあたりだろうか。

 ところがネット社会では、地理的な距離は障壁にはならない場合が出てきた。隣同士に住んでいても情報距離が地球と北極星くらい離れていれば意味がないのと同じである。もし、私たちが天才であれば、ネット上から天才を見出すことは容易い。しかし、現実問題として私は天才ではないので、困難を乗り越えて天才を探し当てなければならない。影響を受けるのは人ではなくて、作品であり端的な言葉である。

 というわけで、ちょっと軽めの “たろ” の成長を見守りたいと思う。

 そして、求める人にそれを伝えるのが私の役目であると思う。それらの多くはクオリア的なものなので、文章だけでは伝えきれない。体験しないと分からないことなのだが、昨日まで聴こえて来なかった音楽が、レッスン後には当たり前のように聴こえてきたりするのだ。中学時代にも高校時代にも出会った先生がたが、運良くその力をもっていたので、優れるとはなにかという問題について考える機会を得た。

 

 そして午後、アイディアの奔流がやってきて、溺れそうになりながらそれらを書き留めた。休憩(発想のコントラストタイムというべきか)の時にはウラノメトリアのための曲を書いた。ウラノメトリアも全力で書く。10年後、20年後に後悔しないようにするためだ。音楽にごまかしは効かない。

 技術的に平易な曲を書く時に陥りやすいのが、アイディアが2つある時に易しいほうを選んでしまうことだ。音楽に退屈は敵だ。たとえ易しい曲でも適度な緊張感が続くように考慮する必要がある。教育的な効果を付加したければ、何度弾いても飽きない音楽でなければならない。

 夕食の支度の時、買ってきた冷凍エビを回答してびっくり。下茹でしたら、むきエビだと思っていたものが殻付きだった。その数50-60尾。殻を外して背わたをとっていたら、“風” が帰宅。「助けてくれ、殻付きエビだ」。風は「おう、まかせて」と言って、作業に加わってくれた。その間にブロッコリーを茹でて、などとやっている間にカミさんも帰ってきて、エビの加工工場のような様相を呈してきた。結局、私は夜のレッスンの時刻になっていまい、夜遅くなってから夕食を食べた。カミさんが食べずに待っていてくれたことに感激。いいとこあるじゃん。「でも来年のバレンタインはナシよ」。

 そして、その後、怒涛の作業に突入したのだった。