野村茎一作曲工房日記2

作曲家の野村茎一が日々の出来事を綴ります

2018年4月18日(水)肌寒い一日

 

 モリアキ翁99歳をデイに送り出してから、ずっと作業に没頭していたので、我に返って水汲みに出かけたのは午後も遅くなってからだった。

 

f:id:tomlin:20180418221016j:plain

雨が止み、空には光が差してきた。

 

f:id:tomlin:20180418221017j:plain

旧街道

 

f:id:tomlin:20180418221018j:plain

躑躅(つつじ)の季節になった。

 

f:id:tomlin:20180418221019j:plain

小手毬(こでまり)

 

f:id:tomlin:20180418221020j:plain

R17の22kmポスト

 

f:id:tomlin:20180418221021j:plain

2度目の外出

 

f:id:tomlin:20180418221022j:plain

往路での笹目川

 

f:id:tomlin:20180418221023j:plain

あっという間に晴れ上がった空

 

f:id:tomlin:20180418221024j:plain

帰路での笹目川

 

 荒川堤防を走れば、多くのランナーに出会う。東京マラソンの出走枠を巡る競争率の高さもうなずけるというものだ。

 100kmウルトラマラソンも日本全国で開催され、定員を超える応募のある大会もあったりする。にわかには信じられないけれど、100kmマラソンでも満足できない人たちが現れてくる。

 必然的に超長距離や標高差を競う大会も現れてくる。

 もっとも距離が長いのが青森から下関までを走る「本州縦断 青森〜下関1521kmフットレース」。制限時間は720時間。しかし、こんなに長期間仕事を休める人は少ないので、競技期間は7か月。つまり、7か月をかけて部分的に走ることができるというもの。中には一気に駆け抜けてしまう人もいて、驚くばかりだ。

 中断なしで走り抜ける長いレースが「日本横断 川の道 520kmフットレース」。こちらは葛西臨海公園から新潟市信濃川河口までを制限時間132時間で走る。東京・大阪間にも匹敵する長さ。

 標高差では「富士山頂往復マラニック」が海抜0mの田子の浦から3776mの富士山頂へ駆け上り、再び出発地点まで24時間以内に戻るという過酷なレース。ルートは選択できるので走行距離は厳密には決められないものの、往復122km程度。気圧差との戦いでもある。

 富士山を走る伝統的なレースでは「富士登山競走」もある。こちらは1949年から続く大会で、海抜770mの富士吉田市役所をスタートして、3711mの富士山頂久須志神社までの21kmで競われる。こちらは歩くことなど考えもしないような人たちが全力でゴールを目指して走る。

 ロードバイクでわずか200kmのブルベ(競技ではなく、認定を受けることが目的のイベント)に参加しようかどうしようかなどと逡巡している自分が滑稽に思えてくるというものだ。

 パワーコープのマスターから、顧客の中にロードバイクの年間走行距離35000kmを達成した人がいると聞いた。しかもその人は70歳だという。毎日ほぼ100km走っていることになる。

 マスメディアには取り上げられることが少ないけれど、驚くべき世界がすぐ隣にある。