野村茎一作曲工房日記2

作曲家の野村茎一が日々の出来事を綴ります

2016年12月31日(土)行く年2016年

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 2016年は著名な音楽家がこの世を去った。

 個人的にはニコラウス・アーノンクール(1929-2016、86歳没)が惜しまれる。若い頃からバッハ、あるいはそれ以前の古楽の名指揮者という認識があったけれども、彼のベートーヴェン交響曲全集を聴いて、彼に対する認識不足を痛感することとなった。私のベートーヴェン交響曲観は、すっかりアーノンクールの演奏に上書きされてしまったと言っても過言ではない。

 指揮者ではピエール・ブーレーズ(1925-2016、90歳没)の死も衝撃的だった。高校生の頃、FM番組「現代の音楽」で作曲家として認識していたブーレーズが、その後、指揮者として極めて明晰な音楽観を持つことを知り、複雑な心境だった(作曲活動の停滞を恐れた)。

 フルート奏者のオーレル・ニコレ(1926-2016、90歳没)は、奇しくもブーレーズと同年生まれ。ランパルクラシック音楽にとどまったのに対し、ニコレは現代作品にも挑んでいたので、聴く機会はニコレのほうが多かった。

  ピアニスト(指揮活動も行なった)のコチシュ・ゾルターン(1952-2016、64歳没)は、若すぎる死に驚いた。古くはイシュトバン・ケルテスがテルアビブの海水浴場で溺死(1973年、43歳)したニュースはショッキングだったし、ジュゼッペ・シノーポリが50歳で没した時にも、まさかという印象が強かった。音楽家は長寿という先入観があるからかも知れない。そういえば、ヘルベルト・ブロムシュテットは89歳で、まだ現役を続行しているのではなかったか。

 ネヴィル・マリナー(1924-2016、92歳没)も長寿だった。規模の小さなオーケストラで独特の解釈、しかも正統的で端正な演奏をする指揮者だった。

 中村紘子さん(1944-2016、72歳没)は、日本のピアニストの代表のような人だった。

 作曲家の冨田勲さん(1932-2016、84歳没)は、NHK新日本紀行」のテーマで大ファンになった作曲家。それからもNHK大河ドラマなどで印象的かつ魅力的な旋律を書く作曲家だった。なかでもドラマ「波の塔」のテーマ音楽は、新日本紀行と並ぶ名曲だと思った。彼の「サウンドクラウド」と呼ばれる音楽のインスタレーションを一度も体験していないのが悔やまれる。

 

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2016年最後の日にBW号が9900kmを通過。

 

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おもに一般車を扱う自転車店だけれど、2階にはロードバイクがずらりと。もう一過性のブームではない可能性がある。

 

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おだやかな大晦日。笹目川も平和そのもの。

 

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カルガモ

 

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オオバンカイツブリもいたのだけれど、狩のために長時間水にもぐっているうちに見失ってしまった。

 

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水汲み街道

 

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お父さんと一緒の子どもたちが目立った。お父さんには、もっと休みの日が必要。谷口上橋で。

 

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谷口公園

 

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午後遅い、わらびりんご公園。

 

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家族で遅い昼食。せっかくテーブルも椅子も用意されているのだから、自分の家の庭として使うのも当然ありだ。

 

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大気が透明で日没時にも夕焼けにはならなかった。

 

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あと3日で98歳になるモリアキ翁のための「のどにつかえにくい餅」。毎年、我が家で大晦日に作られる。去年は “風” が、今年は私が制作担当。