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スタンリー・キューブリックは天才タイプの映画監督だと思うが「フルメタル・ジャケット(1987)」は辛い作品だった。もう四半世紀も前に観たのに強烈な印象が残っている。
冒頭の海兵隊の訓練の様子から、すでに嫌だった。いじめに遭い、そのストレスから上官を殺して自殺してしまう兵士のエピソードは夢に出てきそうだ。
その後、ベトナムで戦列に加わると、何から何まで想像とは違っていた。このあたりは同時期に公開された「プラトーン(1986)」や「ハンバーガー・ヒル(1987)」に通じるものがある。
一番イヤだったのは、後半、謎のベトナム狙撃兵によって海兵隊員が一人、また一人と撃ち殺されていくあたりから。なんと、天才スナイパーはベトナム人の少女だったのだが、その少女が海兵退院に撃たれて生命を落とすあたりで、もう気分が悪くなって参った。
もし、キューブリックが原子力発電所の映画を撮ったら、それは原発推進でも反原発でもないことだろう。彼がリアルに淡々と描くだけで原発の矛盾が浮かび上がってくるに違いない。
反戦映画が恣意的に感じられてしまうように、反原発映画も、原発への反感だけが浮かび上がって描かれてしまう可能性が高い。原発そのものが矛盾だらけなのだから、真実を伝えることが一番効果的なのではないだろうか。
高速増殖炉の技術が確立される前に法律ができてしまうあたりから矛盾だらけだけれど、核燃料サイクルのプランでさえ成り立つはずのないものなのだから(再処理過程で、膨大な放射能を自然界に放出せざるを得ない仕組み)、その事実を伝えることが重要だ。
使用済み核燃料についても、原発側が平気で「1万年の保管」などという言葉を使うが、逆算して過去に戻ると石器時代だ。もし石器時代の原始人が、現代人の生命を脅かす設計寿命1万年のブービートラップを沢山遺していたらどう思うだろうか? 使用済み核燃料は、それと同じことだ。
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