野村茎一作曲工房日記2

作曲家の野村茎一が日々の出来事を綴ります

2016年7月19日(火)早くも2台目のiPhone

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午前中、桜の木陰をBW号で走る。

 

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笹目川を遡って向かうのは、某モバイルの武蔵浦和店。

 

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目的のブツを入手して帰路に就く。Domane 5.2 貯金がカラになってしまった。息子から「とむりん、歳なんだから(一刻も早く)ドマーネ買ったほうが良かったんじゃないの?」と、意見されたりして、ちょっと落ち込んでみたりする。

ま、TN号も気に入っているし、とりあえず最低でも20000km乗り倒す。

 

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笹目川上流は、川幅がこんなに狭い。

 

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これはモリアキ翁97歳の食事と家事を終えて、夕食の買い出しに出たところ。満潮に向かう笹目川。気温は実測値で34.2度。

 

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おお、もう盆踊りの準備完了!の、谷口公園。

 

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今日も積乱雲発達中。また圏界面まで到達していない。

 

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ほぼ満潮の笹目川。荒川も樋詰(ひのつめ)橋あたりではこのくらいの川幅。

 

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陽が西に傾く。

 

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今日最後の買い出し。モリアキ翁を脱水から守るための水分をまとめ買い。

 

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夕暮れの上戸田川。

 

 19世紀の終わりは、偶然にも芸術界のムーヴメントが大きく動き、世紀末とは、そういうものだというイメージが定着した。

 対して20世紀末はコンピュータの2000年問題のように人の気持とは別の、まるで天災(ノストラダムスの1999年問題もそうだったけれど)のようなことに、人々は終末を感じるしかなかった、のだと思う。

 にもかかわらず、世紀末は確かにあったのだと思う。

新世紀の持つフィルターが、混沌として猥雑な20世紀音楽を見事に濾しとった。当時、誰もが評価を保留(スルー?)していた「権威の音楽」が、評価をスルーしてきたことによって遠くに消えて(映像のBGMとして細々と使われることはあっても)、気に入った音楽だけを聴く時代になった。

 気に入った音楽を聴くのが当たり前、ということが20世紀には通用しなかった、と言っても信じてもらえないかも知れないけれど、大阪万博の当時の現代音楽の熱気を知っている人なら分かってもらえることだろう。

 今は良い時代だ。評価をスルーする人が減った。

 私の曲は、かなり分かりやすいと思うのだけれど、1970年代には、評価はスルーするものだと思い込んでいる人たちによって、彼ら自身の評価らしい評価を聞くことが難しいということがあったものだ。