野村茎一作曲工房日記2

作曲家の野村茎一が日々の出来事を綴ります

10月31日(金)赤瀬川原平の芸術言論展 1960年代から現代

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1000形車内。

 

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だいたいビルの6〜7階くらいの高さを走る。

 

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別系統の2号線軌道。

 

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葭川公園駅下車。

 

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駅前に案内板があるので初めてでも迷わない。

 

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この漢字を「よしかわこうえんまえ」と読めるのは土地の人と漢字好きな人だろう。

 

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美術館到着

 

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千葉市中央区役所の7、8Fが美術館。

 

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展示は、赤瀬川原平の創作を11期に分けて捉えている。

1章 赤瀬川克彦の時代

2章 ネオ・ダダと読売アンデパンダン

3章 ハイレッド・センター

4章 千円札裁判の展開

5章 60年台のコラボレーション

6章 『櫻画報』とパロディ・ジャーナリズム

7章 美学校という実験場

8章 尾辻克彦の誕生

9章 トマソンから路上観察

10章 ライカ同盟と中古カメラ

11章 縄文建築団以後の活動

 

 赤瀬川原平を有名にしたのは「千円札裁判」であるに違いないけれど、それ以前から彼は小野洋子時代のオノ・ヨーコ横尾忠則など、才能あるクリエイターたちと交流があった。つまり、彼は早くから認められる存在であったのだろう。

 前衛芸術家であったと同時に、極めてすぐれた画力・技術を持っていたことを示したのが千円札の精密スケッチが偽造紙幣と疑われ、起訴までされた事実だろう。コピー機でも写真でも不可能と思われる、千円紙幣にある全ての線、破線をフリーハンドで精密に再現してみせた。実際にその原画を見ると圧倒される。

 事件の第一報を「偽造」と断じて伝える当時の朝日新聞の記事が、馬鹿げて見えた。

 あ、眠くなってきた。この感覚は貴重なので、もう寝る。

 最後に少しだけ付け加えると、彼は小惑星1991 AJ1を発見して、後に「(7418)Akasegawa」と命名。その時に使用した機材は宮内光学の「Bs60-iA 対空型双眼鏡」(実物展示で確認)。小惑星の発見は片手間では無理。彗星と違って、同時に数千の小惑星が観測可能で、新発見であるかどうかの判断さえ素人には困難だろう。芥川賞受賞と同じくらい入れ込まなければ実現しない。赤瀬川原平は、小説家としては尾辻克彦名義を用いている。芥川賞受賞作は「父が消えた」。

 展示されていた約500点を、今日は全て気の済むまで見るのに3時間を要した。ひとりの人間が、これだけ多くのことを発想できるのか、と大いに刺激されて帰宅。まだ興奮冷めやらぬという感じ。でも寝る。お休みなさい。

 

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土木ファンとしては、たまらないアングル。

 

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