野村茎一作曲工房日記2

作曲家の野村茎一が日々の出来事を綴ります

11月27日(火)

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 昨日の雨で空気がきれいになったのか、あるいは強風で吹き飛ばされたのか、空が高く青い一日。

 

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 風が強かったのでウォーキングは中止。出発写真は撮ったものの、出向いたのは近所のショッピングセンター。

 

 昨日、センス・オブ・ワンダーについて書いたけれど、最初がヴォークトだったというだけで、ヴォークトが一番のお薦めというわけではない。もちろん、彼が一番といっても間違いではない。

 彼が1940年に発表したミュータントテーマの「スラン」は、アスタウンディング誌の読者投票で2位なしの1位になったことがある。つまり、全員一人残らずスランに投票したということだ。

 主人公ジョミーの母親の言葉「今度だけは失敗だったようね」で始まるこの話は最初の1ページから引きこまれた。もう本棚にはないので、もしかしたら始まりは全く違っているかも知れないが、読んでから既に40年以上経過している。いま読んだら異なる感想を抱くに違いないのだが、中学生の時に読んでおいてよかった。

 竹宮恵子のマンガ「テラ(地球)へ」の主人公の名前はスランからとられている。テーマも同じ。

 SFがSFであったのは今から半世紀前くらい昔の話だった。2004年の映画「I,Robot」は、厳密にはアシモフが原作ではないが、タイトルも設定も1950年に刊行された同名の短篇集のアシモフ世界を扱っている。

 1969年にアポロ11号が月着陸に成功した時、日本のSF作家が新聞記者から「SFが書きにくくなったのではないか」という質問を受けたという。

 そうではない。SFは筒井康隆が看破したように「浸透と拡散」の時代を経て一般化していったのだ。

 1978年の「スターウォーズ」はSFではなく、すでに一般映画だった。

 そう考えると、アーサー・C・クラークは尖っていた。それは「ブレード・ランナー(アンドロイドは電気羊の夢を見るか)」のフィリップ・K・ディックニューウェイブと呼ばれたブライアン・オールディスやJ・G・バラード(1987年にスピルバーグによって映画化された「太陽の帝国」の原作者)らの尖り方とは異なるものだが、クラークは徹底的にリアルにこだわったために、いま読んでも古くない(ディックだって古くなんかないが)。

 「天の向こう側」という短編集は1950年代に書かれたもので、すでにその世界の時代に現実は追いつき、追い越してしまったが面白さは色褪せていない。起こるかも知れなかった平行世界を読んでいるかのようだ。

 美術も音楽も1950年代は先鋭的だった(私が、まだ生まれていなかった頃)。美術は未来をそれなりに正確に予見したが、それは、美術愛好家たちの厳しい眼があったからだろう。それに対して、音楽は評価も批評もあるようなないような状況が続いた(と私は考えている)ので、袋小路に追い込まれてしまった。

 現代音楽を流れを汲む作曲家たちは閉じた狭い世界に閉じこもってしまった感がある。SFが広く文学世界に浸透していったのと対照的と言えるだろう。

 これは「人気のある音楽が良い音楽というわけではない」ということを含めて主張したいのであるけれど、しかし、時代を超えて正統であるためには、人々の支持も欠かせないことを忘れてはならない。

 

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信号待ちをしても青空

 

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日没直前の夕陽を浴びた家。ホワイトバランスや露出の関係で空が明るく写っているけれど、実際にはこの風景がもっとも空が青い。