野村茎一作曲工房日記2

作曲家の野村茎一が日々の出来事を綴ります

5月8日(水)

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 モリアキ翁94歳の病室へ向かう途中のチガヤの群落。何日か前に猫じゃらしと書いた植物。エノコログサは秋の季語であることを思い出して、これがチガヤであることに思い至った(ひょっとしたらチガヤでさえないかも)。

 

 今日はウラノメトリアの試聴音源に、中学時代最後の作品である「インテルメッツォ」を録音してアップロードした。4βのインテルメッツォと区別するために「Intermezzo 1971」と表記してある。

 「Intermezzo 1971」を聴いただけでは、その未熟さに気づきにくいかも知れないが、たとえば最近作の「憂鬱なソルツィーコ」と聴き比べれば、いろいろなことが分かることだろう。

 もし、作曲家を志す誰か(趣味で作曲しているのではない)が「Intermezzo 1971」を持ってレッスンにやってきたら、次のようにアドヴァイスする。

 曰く、アイディア(インスピレーション)を生かしきれていない、音楽的な構造(古典的な形式を指すものではない)が熟考されていない、ピアニストがピアノと自らの魅力を表現できるだけのピアニズムがない、そもそも主題と呼ぶべき動機に人を虜にする強さがない、・・・。

 仮に趣味で作曲しているけれど、可能な限り向上したい、あるいは実際に向上している人にはプラス面のアドヴァイスをする。

 曰く、主題がミステリオーゾなイメージを表現しようとしていることが分かる。次は “分かる” ではなく、音の全てがミステリオーゾに貢献するような書法を研究したらもっと良くなるのではないだろうか、・・・・。

 主題がきちんと書けて、初めて音楽的構造について考えることができる、というものだ。

 試聴ページへのリンクは下に。

Intermezzo 1971

憂鬱なソルツィーコ 

 

 

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今日の夕空