野村茎一作曲工房日記2

作曲家の野村茎一が日々の出来事を綴ります

8月15日(水)終戦記念日

270914

 

 今日は親しい親戚一同が集まって楽しいひと時。しかし、今日のためにカミさんと妹の指示で昨日から東奔西走した。もちろんその甲斐あっての楽しいひと時となった。で、東奔西走も結構楽しかったわけで、いつもと違うことをするのは面白いということでもある。

 さきほどキッチンへ行ったら食器洗いが終わっておらず、ややや、今日は拙者のシフトであったか・・・と、大急ぎで食洗機を動かしてきた。7月から家族の一員となった “松”(本名はサブリナ)は動作音が静かなので午前2時に働かせても問題ない。いま思い出すと、先代のホシザキ製は強力だったが騒音と言えるレベルの動作音だった。こんなことを書くとは、もう “松ちゃん” に慣れてしまったということだろう。

 今日はNHKスペシャル「終戦 なぜ早く決められなかったのか」を視聴。ほんの一週間早く無条件降伏を決断すれば、日本兵たちがシベリアに抑留されることも北方領土問題も起きなかった。そして10日早ければ核攻撃も避けられたのだ。その素地はあったのにそれができなかった、と番組は告げていた。

 原発の廃炉も決断を急ぐべきだ。次の事故が起きてからでは遅すぎる。

 

 という重い問題とは関係がないが、今週の「なんでも鑑定団」に山口長男(やまぐち・たけお:1902-1983)の作品が登場し、高値の査定となった。

 山口長男については、この日記でも何度か書いているが、もし、20世紀以降の日本の画家をひとり挙げるとすれば彼になる。高校時代に「転」と「割」を観て以来ファンになった。今回、番組の画家紹介VTRで、彼がラスコー洞窟の壁画から大きな影響を受けたことを知った。それには強く共感できる。

 山口長男は生前、なかなか理解されなかったのではないかと思うが、彼は自分の才能とセンスを信じていたに違いない。その証拠に作風は変化しても、その根底に流れる美学は一貫している。

 我が家の格言のひとつに「才能は、あると思った者の勝ち」というものがある。

 周囲からの評価など、褒められようが貶(けな)されようが、どちらも信じるに足りない。信じる根拠がない(しかし、褒められると無条件に嬉しい)。

 信じられるのは、自分自身が本当に素晴らしいと思っているかどうかだ。それは過去の大作曲家たちも同じだった。他人の評価を気にする作曲家は、時代を超えられなかったのではないだろうか。

 自作品が理解されるまでに時間がかかるとしたら、未来人のために書いていることになる。

 難解だから理解されないとは限らない。ラフマニノフやダマーズは、一見(一聴)分かりやすいが故に評価されない時代が続いた。訳の分からない先鋭的な音楽こそ未来の音楽という、評価する側の思い込みが判断を誤らせた。自分に正直に聴きこんでいれば、そのようなことは起こらなかったことだろう。

 オリンピック選手への無意味なインタビューをするアナウンサーやタレントたちと同じだ。オリンピック選手の志の高さを前に、頓珍漢な質問をして、さらに選手のコメントを理解しないまま質問者が勝手にまとめたりして、生きる世界の果てしない差を感じさせたものだ。

 明日は再び数学者M先生のレッスン。志の高さは一流だけれど、明日のテーマは、彼がたどり着くべきインスピレーション。インスピレーションそのものは説明できないが、表現することは可能だ。

 

 早く寝て体力回復だ。3時までに眠ろう。

 では、お休みなさい。

 

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4β_蝿座

一度聴いてしまうと、もう「蝿座」としか思えないはず。