野村茎一作曲工房日記2

作曲家の野村茎一が日々の出来事を綴ります

3月2日(土)

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 作曲中の曲について書くと、急にインスピレーションが途切れてしまうような気がしているのだが、もう大丈夫。この一週間くらい、ずっとピアノ・ソナタ第1番、たぶん第3楽章をずっと歌っていて、ほぼ全体像が見えてきた。

 ウラノメトリア1βと4βも作業が進んでいる。問題があるとすれば1β。

 第1曲は「バッハを讃えて」として、第2曲が「チューリップ」連弾版。そして第3曲がない。さらに困ったことには第3曲が書けるような気がしない。ま、できることからやるしかない。

 

 ところで、カミさんが今日の「アド街ック天国」という番組が志村坂上を取り上げると言っていた。一応録画予約したけれど、まだ観ていない。

 母方の実家。つまり、私の田舎。50年前から通いつめた坂道だらけの街だ。モリアキ翁の会社も小豆沢(あずさわ)にあったので、この界隈には少し詳しい。

 私が生まれたのは中板橋。志村までは歩けないこともなかったが、小学生の頃までは都電志村線が国道17号を走っていた。

 その都電で祖母が4の日には巣鴨のとげぬき地蔵に連れて行ってくれたものだった。

 小学生の頃には、近くの中台というところの住宅造成地で貝の化石を見つけて、化石掘りに熱中したものだ。

 生まれて初めて魚釣りをしたのも志村の見次(みつぎ)公園で、初めてボートを漕いだのもここ。生まれて初めてコーラを飲んだのも志村銀座だった。

 中学生になった頃、都営三田線が開通。大学生になった頃に首都高速5号線が開通。どちらも高架なので風景が変わった。

 蕨から志村坂上まではクルマですぐなので、社会人になってからも衣類や靴など日常のいろいろなものを志村銀座商店街で買っていた。習慣というのは侮(あなど)れない。

 さて、テレビ番組ではどこを取材したのか楽しみだ。観るのは明日。今日はもう寝る。

 今日は “たろ” が明け方5時半に仕事から帰ってきて、眼を覚ましてしまったからもうぐったりしている。彼女は昼前に起き出して、また仕事に行った。今日も帰れないらしい。「身体は大丈夫か?」と尋ねたが「全然問題なし」ということだった。心配しているよりもユルユルなのかも知れない。仕事は、とても楽しそうだ。

 

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ちょっと盛りを過ぎてしまった戸田市にある梅林。

 

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もう一枚。