野村茎一作曲工房日記2

作曲家の野村茎一が日々の出来事を綴ります

6月22日(日)江戸東京たてもの園 再訪 Part2

290242

 

Part 1は定期便を参照のこと。リンクは右フレームに。

 

f:id:tomlin:20140622133813j:plain

語り手、かくあるべしというような紙芝居の話者。語りにアゴーギクデュナーミクがあり、さらに講談師のように木片でテーブルを叩いてクライマックスを盛り上げる。今日の主役。

 

f:id:tomlin:20140622153109j:plain

正面が子宝湯。スタジオ・ジブリ千と千尋の神隠しの「湯屋」のモデルのひとつ。

 

f:id:tomlin:20140622143230j:plain

子宝湯に4枚あるタイル画のひとつ。

 

f:id:tomlin:20140622143605j:plain

昔は体重は銭湯で測った。右は赤ちゃん用か?

 

f:id:tomlin:20140622144148j:plain

銭湯は人が集まるので広告の宝庫でもあった。

 

f:id:tomlin:20140622144233j:plain

この人は、偶然居合わせただけ。

 

f:id:tomlin:20140622144427j:plain

昔は言葉が丁寧だった、とカミさんが言った。

 

f:id:tomlin:20140622144511j:plain

毎週2本新しい映画を上映していた、昔のスケジュール。

 

f:id:tomlin:20140622144822j:plain

居酒屋「鍵屋」のメニュー。「雀やき 二匹 150円」。

 

f:id:tomlin:20140622145344j:plain

鍵屋店内には、このようなポスターも。

 

f:id:tomlin:20140622145720j:plain

旅館 萬徳にあった「日米富士自転車」のケント号。当時の自転車が高価であったことを窺わせる凝った作り。調べてみると、Fuji Bikesは現在もアメリカのブランドとなって、スポーツタイプの製造と販売が続いている。

 

f:id:tomlin:20140622145942j:plain

このマークを見て思い出したのが、モリアキ翁の自転車。もう半世紀も前、東京の板橋に住んでいた頃、モリアキ翁は富士山マークの薄いあずき色の軽快車で通勤していた。そして、その自転車にはFujiのロゴがあった(KENTの文字は、なかった)。

 

Part3へ続く