野村茎一作曲工房日記2

作曲家の野村茎一が日々の出来事を綴ります

6月7日(木)ブラッドベリ没す

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 今から10年くらい前、ブラッドベリがまだ新作を書いていることを知り、その時に「まだ生きていたのか」と思ったくらいだから、彼の著作との付き合いは長いということだろう。

 中学時代はアシモフとヴォークトを偏愛していたのでブラッドベリまで手が回らなかった(でも一番好きな話はウィルスン・タッカーの「明日プラスx」だった。子どもらしくて良い)。

 高校に入学してすぐ「10月は黄昏の国」を読んで、すぐにブラッドベリファンになった。宇宙船が出てきても宇宙人が出てきても、まるでSFにならない不思議な作風はハインラインA.C.クラークと対照的。全く異なる個性だけれど、むしろJ.G.バラードに近いのかも知れない。

 「刺青の男」は短編集のタイトルで(同名の短編もある)「刺青の女」は作品のタイトル。「とうに夜半を過ぎて」は、つい最近、曲名に拝借したばかりだ。「ウは宇宙船のウ」は後に萩尾望都さんがマンガ化して、「みずうみ」などはマンガのほうが良いくらい見事だった。マンガの表現力を凄いと思ったものだが、そうではなくて望都さんの理解力と表現力が凄いのだろう。

 凄いといえばフランソワ・トリュフォー監督の映画「華氏451度」は、原作に忠実でありながらトリュフォー世界になっていたことだ。主人公のモンターグは焚書官で、なぜか焚書官たちは消防車に乗っている。その消防車の出動シーンに流れる7拍子(2+2+3拍子)の不穏な音楽は印象的だった。ヒロインのクラリスが勤務する学校の生徒に「小さな恋のメロディー」のマーク・レスターがいて、ヨヨヨっと思った。

 未来は双方向通信可能な(インタラクティヴな)大型スクリーンテレビが娯楽の中心で、少しだけ当たっているかもしれない。しかし、ブラッドベリの未来は決してレトロフューチャーではなかった。交通機関はエアカーではなく、地下鉄で(デナムの歯磨きのコマーシャルが流れている、ただし映画版ではコマーシャルなしのモノレールだった)、堅実な未来感だと思った。モノレールの未来感が好きになって、高校時代にはしばしば鎌倉に行って湘南モノレールに乗って往復したものだ。登下校の時間帯には小学生たちがランドセルに定期券をぶら下げて乗り降りしていて、1970年代初頭として未来っぽかった。

 「火星年代記」は原作が圧倒的に面白かった、映像化は映画ではなくて(記憶が正しければ)テレビドラマ3話分で、ロック・ハドソンが主演していた。

 ステレオタイプの火星人が登場して、映像的にはロジャー・コーマン的な作りだった。それでも、ストーリーが面白いので夢中で見た。まだビデオテープを3本持っているはずだ。

 「何かが道をやってくる」は、原作も映画もどちらも素晴らしい出来栄えだった。冒頭の避雷針売りのエピソードは秀逸だった。導入としてこれ以上のものはないだろう。小説版では床屋のサインポールを「昇竜燈」と訳していたが、これは翻訳者の創意ではないだろうか。ぴったりだと思ったが、他の書物では出会ったことがない。

 ひとつひとつ書いているときりがないが、「喜びの機械」「たんぽぽのお酒」「メランコリーの妙薬」、あ、そうだサンリオ文庫の第1回配本に「万華鏡」があった。「火星の笛吹き」もあった。思い出せるだけでも一晩語れそうだ。

 最後に一番好きな話を紹介。それは「山のあなたに」というSFともファンタジーとも異なる短編、たしか「太陽の金の林檎」に収録されていたと思う。ネタバレするので何もかかずにおく。いい話だった。

 

>今日の試聴音源アップロード

1β_ガニメデの勝利の踊り(ああ、とうとう曲にしてしまった)

 

>今日の音源差し替え

2α-76_赤いスカートの踊り

 

>今日の気持玉

・4β_異郷の踊り1 <なるほど>1

・4β_異郷の踊り2 <なるほど>1 <ナイス>1 <かわいい>1

・番外_樹々の記憶 <ガッツ>1