野村茎一作曲工房日記2

作曲家の野村茎一が日々の出来事を綴ります

9月6日(木)

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 NHKスペシャル「吉田隆子を知っていますか?」の視聴3回目。

 吉田隆子は1910年生まれの作曲家で指揮者、ピアニスト。1956年に46歳の若さで亡くなっている。

 最初に観た時には、いろいろ書こうと思ったが、彼女の志の高さを強く感じるに連れて言葉は不要であると思い改めた。

 歴史に残る作曲家が男ばかりなのが不自然なのは当然。クララ・シューマンのピアノ協奏曲は比較的知られているとは思うが、一般の音楽愛好家にとって、その後は、いきなりセシル・シャミナードやタイユフェールになってしまうのではないだろうか。

 私もそれほど知ってわけではないけれど、交響曲を含む大規模作品を書いた女性作曲家としては、1804年生まれのルイーズ・ファランク(フランス)やアメリカで最初に交響曲を書いた可能性のある1867年生まれのエイミー・ビーチがいる。

 彼女たちの生涯について調べていくとジェンダーとして「女性は作曲すべきではない」という考え方があったことに出くわす。楽器にもジェンダーがあって、弦楽器は男性、チェンバロやピアノは女性という “常識” もあったようだ。

 つい最近までウィーン・フィルでさえ女性の入団を認めていなかったし、某女子高では吹奏楽部の立ち上げを認めなかったという話も聞いている。

 吉田隆子は、晩年(といっても40歳過ぎたばかり)病を得て床についてから、ラジオから流れてくるローゼンストックの振るペトルーシュカを聴いて「私は、なんと音について勉強してこなかったのだろう」と日記に記している。

 今日、偶然にも「火の鳥」「ペトルーシュカ」「春の祭典」へと進んでいくストラヴィンスキーの多調化への道筋についてレッスンしたばかり。吉田隆子の時代に、スコアを手に入れて多調分析をするのは困難であったろうと思う。が、しかし、彼女が健康であったならばやり遂げたかも知れない。

 反戦を貫き、特高警察にも屈しなかった反骨の女性作曲家の生涯の記録を前に、へたれのとむりんは、ただただオロオロするばかりなのだった。

 

ルイーズ・ファランク 交響曲第3番 ト短調作品36