野村茎一作曲工房日記2

作曲家の野村茎一が日々の出来事を綴ります

10月27日(土)2001年宇宙の旅

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 昨日は、調度よい北風が吹いていたので1Fの全室にブロアをかけて可能な限りの埃を排除した。今日は2Fと考えていたが無風だったので延期に。その代わり、レッスンのない午後にカミさんの実家に行って義母に親孝行(になっただろうか?)。

 朝から、夜の9時まで隙間なく動きまわった。

 詳細は省略するけれど、最後のレッスンを終えた9時から「2001年宇宙の旅」を全編観て、またいくつかの発見があった(今夜は新曲の楽譜を書き進める予定だったけれど、疲労困憊して無理だった)。

 キューブリックによる本作の日本公開は1968年。中1の時に、少年マンガ週刊誌がかなりのページを割いて紹介していたが、いま考えると、編集部は宇宙旅行の映画だと勘違いしていたのかも知れない。

 この映画の元となったアイディアは、アーサー・C・クラークの「前哨」(1950)という短編小説。クラークとキューブリックは共同で映画製作にあたったが、結末を迎える頃に意見が対立し、クラークは小説としてアイディアを完成させ、キューブリックは映画として完成させた。だから、小説と映画は同じではない。つまり、小説は原作でもなければ、映画のノヴェライゼーションでもない。

 厳密に言うならば、この映画の前にSF映画はなかったことになる。それまでのSF映画というジャンルは未来ファンタジーに過ぎなかった。分別ある大人が感情移入できるほどリアリティを持つ作品はなかった(ただし、エンターテインメントとしての傑作はいくつもあった)。

 初めて観たのは、1978年頃に待望の再上映があった時だと思う。それからは機会あるごとに映画館に足を運んだ。何回でも鑑賞に堪える、優れた交響曲のような映画。

 この映画の詳細はピアース・ビゾニー著<未来映画術「2001年宇宙の旅」>などで知ることができる。

 音楽も優れている。当初、キューブリックは作曲家のアレックス・ノースに音楽を依頼していたが、無断でクラシック音楽の名作から選曲することに変更し、ノースの音楽を(半分くらい録音まで追えていたのに)没にしてしまった。1993年頃に、吉松隆さんがFM番組で没になったアレックス・ノース版「2001年宇宙の旅」を紹介していたので聴いたが、まさに映画音楽だった(良い意味で)。

 以前もどこかに書いたけれど、アレックス・ノースがどんなに才能溢れる作曲家であったとしても、リヒャルト・シュトラウスヨハン・シュトラウス、ジェルジ・リゲティらの全く異なる個性と才能ほどのバリエーションを一人で書くことは難しいだろう。

 キューブリックの選曲は天才的と言っても良いだろう。個人的なことを書くと、この映画がなければリゲティを真剣に聴くことはなかったかも知れない。

 この映画の特殊撮影を担当したのはダグラス・トランブルで、ひょっとしたら彼はこの映画に関わったことで、さらに才能を開花させたのではないだろうか。

 トランブルは「ブレード・ランナー」のスタッフとして知られているが、自らの監督作品として「サイレント・ランニング」がある。映画としては成功作と言えるかどうか微妙だが(少なくとも興行的にははかばかしくなかった)、カルト的な人気を持つ作品。登場する3体のロボットが印象的。

 キューブリックと仕事をしたら、優れた人々は彼からインスパイアされるように思うのだ。

  明日はキューブリックのように楽譜を書こう。

 

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午後遅い西空。

 

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天気予報は外れて、十三夜の月。