野村茎一作曲工房日記2

作曲家の野村茎一が日々の出来事を綴ります

4月17日(水)

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 昨深夜、無線ルータが不調になってネット接続が解除されてしまったので、18日に更新。

 三宅島近海地震については、18日定期便を参照されたし。

 

 今日は一日、空に薄雲の広がる天気。太陽は、雲を通して弱々しく地上を照らしていた。

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少し絞り込んであるので、実際はもっと明るい。

 

 そろそろ、学校のスケジュールも明らかになってきたので、2013年の定期レッスンカレンダーを作成。レッスンに子どもたちが少なくなっているので、中学・高校の定期テスト前が休みになるようにスケジュールを調整(大学までは考慮できない)。ところが、最近では3学期制や2学期制など、1年間の行事割が学校ごとに異なるので全員の希望に沿うわけにはいかなかった。

 学校といえば勉強するところだけれど、忘れてはならない大きな役割がある。

 学校(特に、小・中・高校)は、毎朝同じ時刻に起きて生活をスタートさせる。これが習慣になれば、会社に行かなくてもフリーランスでやっていける基礎的な力となることだろう。才能があってもフリーランスでやっていけるとは限らない。自己制御ができなければ「ただの無能の人」になってしまう可能性が高い。自己制御できない人には会社勤めを薦める。

 学校は、修業年限と学習指導要領の兼ね合いから、細切れの授業プログラムで一日に何回も生徒に思考プロセスの変更を迫る。

 これも重要だ。毎日延々と同じ思考ループの中をグルグル回っている人が新しい発想にたどり着くのは大変なことだろう。大嫌いな数学や英語、理科、社会、国語の授業を受けることは、実は役に立っているのだと思う。

 そして、学校には無料のフィットネスタイムがあり、小中学校には給食があって、母親が食卓に乗せない食材も提供される。

 社会人になったら、健康は自分で管理しなければならないが、学校はそんなことまで用意してくれている。

 さらに、校外学習と称して、美術館へ連れて行ってくれたり、オーケストラを聴かせてくれたり、お寺に連れて行ってくれたり、山歩きをさせてくれたりする。

 親が子どもを美術館へ連れて行くという発想がない家庭に育ったら、一生美術館に行かないことだってあることだろう。

 学校のスキー林間学校で初めてスキーを体験した子どもだって少なくないはずだ。

 

 なぜか、親は子どもの成績を気にするが、上記のようなことに着目すると、成績よりも生活習慣のほうが、個人の人生を大きく左右するのではないだろうか。

 学校の功罪はいろいろあるだろうが、とりあえずメリットに目を向けて、得られるアドヴァンテージに気づけば、少しは人生が変わることだろう。

 学校を卒業して何十年経過していようが、気づいたらすぐ行動だ。

 

 今日は、子どもたちに頼まれて、私がカミさんのバースデイ・プレゼントと母の日とその他諸々を全て合わせた贈り物を買いに行った。

 ニンテンドー3DS LL。子どもが親にゲーム機を贈る時代が来たのだ。

 子どもたちが小さかった頃、カミさんはゲーム機を欲しがる彼らの前に仁王立ちになって宣言した。

「かーちゃんの眼が黒いうちはゲームなんてやらせないからね!」

 ところが、その後ゲームにハマったのはカミさんだった。

「ね〜! お願いだから誰かあたしを止めてよ! ゲーム、やめられないわ〜」

 小中学生だった子どもたちが「そうだね、母ちゃん、今日はもう寝たほうがいいよ」とゲーム機を取り上げたりしたのだった。

 成人した子どもたちは、もうゲームをやっていない。レッスンに通っている子どもたちに聞いても、ゲームが生活に定着しているイメージはない。

 あれほど親たちを恐れさせたゲームも、本当にゲーム好きな子どもたちだけのものになってきているということだろう。

 

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今日も朧月。