野村茎一作曲工房日記2

作曲家の野村茎一が日々の出来事を綴ります

7月18日(水)

270124

 

 作曲を始めた頃は、何か曲を思いつくとそれを楽譜に書いて作曲したのだと思っていた。

 今は少し違う。曲をまるごと思いついたとしても、それだけでは駄目だと思うようになった。それはまだスタート地点に立っただけであり、そこからゴールに到達しなければならないからだ。

 それに気づかせてくれたのはベートーヴェン

 いろいろなタイプの作曲家がいるので、ここに書かれていることを鵜呑みにされても困るのだが、ベートーヴェンのように書き尽くすまで頑張らないと似たような曲をいくつもかいてしまうことになるのだと思う(私の場合)。

 書き尽くすとはどういうことかと言うと「到達すること」。これ以上は説明のしようがない。

 人類の全ては、誰もが何らかの勘違いをしていて、全世界・宇宙を正確に把握している人はいない。この前提が正しければ誰も「到達できない」のだが、私の個人的な希望では限りなく到達したいわけだ。

 最近は何か良いアイディアが浮かんだら、1枚しか持っていないSue Raneyのアルバムを聴いてみる(少し前まではSarah Brightmanだった。その前はHelen Merrill)。彼女たちの歌を聴くと、私が思いついた大抵のアイディアは退屈で「この世になくとも誰も困らない」と思うのだ。

 彼女たちはウケ狙いで歌っているわけではない。全身全霊を傾けて最善を尽くしていると感じる。それも全人類を相手に歌っている。無調で作曲しても、ライバルは彼女たちだ。