野村茎一作曲工房日記2

作曲家の野村茎一が日々の出来事を綴ります

2月11日 建国記念の日 5

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4からの続き。

 

最後に楽器編

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 戦前の女学校の資料集の凄さがお分かりいただけたことと思う。

 これだけ知っていれば教養人であるというような内容。能や狂言の解説も簡潔にして必要充分で見事。軍国教育などを礼賛するわけではないが、気合の入った資料集を前に、しばし考えこんでしまったのだった。

 

 昨日の深夜のパーティ(午前2時頃恒例)は、なんだか久しぶりに “たろ” と話をした。下宿中のげっちゃんも一緒。

 “たろ” は昨日までの4日間のうち、3日間が徹夜仕事だった。放映中のアニメ「バクマン」の仕事現場も徹夜続きだったが、あながち誇張でもなさそうだ。

 どんなアニメの仕事をしているのか尋ねると「◎◎◎ョ」などと返ってくるので、げっちゃんと声を合わせて「おおおおおおおお〜!」などと感嘆の声を上げたのだが、どの作品にも多くの映像制作スタジオが関わっているらしい。

 

「あたしが、この2ヶ月間に描いた絵を全部合わせても1分にしかならないんだよ。海外にだって発注しなくちゃ間に合わないよ」

「朝なんてね、すぐ来るんだから」

 

 という過激な現場の状況がなんとなく分かったが、健康にだけは気をつけてほしいものだ。

 

 ここから今日2月11日に移る。

 今日は、午後1時からの冨田勲さんと吉松隆さんの3時間に及ぶラジオ番組を全部聴いてしまった。

 冨田勲さんの作曲家としての仕事の全貌が分かるような内容だった。

 作曲家も画家も、要するにクリエイターは、誰かの一番にならなければ駄目だということを感じた3時間。たとえば、バッハが一番という人は少なくないだろう。ベートーヴェン然り、ドビュッシー然り・・・。

 私は新日本紀行のテーマ音楽で冨田勲ファンになった。彼が一番だという人は少なからず存在することだろう。

 2番では駄目なのだ。その音楽が「ちょっといい」ではなくて、誰かがその音楽に恋焦がれるような作品を書けなければ作曲家として生き残ることはできないだろう。

 逆に、恋焦がれるような曲がなければ作曲家を目指すこともなかったはずだ。そういう思いをしているならば、自分以外にもそういう思いをさせなければ作曲家は役目を果たしていないことになる。

 というような意味で良い番組を聴いた。ますますやる気になった(鼻息だけは荒い)。